宇都宮市(2023追加)  

 ◆①記号SKは、現地調査の生DATA=スケッチを示す
 ◆②『 』内の城は、調査したが、遺構が見あたらない城を示す。
 この場合、縄張り図の代わりに、地籍図や写真等を掲載している。
 (注)遺構が無いからと言って、そこが城として否定しているわけでない。
 ◆③図は断りのない場合、上面が北を示す。
  パソコンの特性上、縄張りをすべて画面上に掲載できていない場合がある。




下横倉城sk位置へのリンク


  2023/11/04

 
■1986年当時の私の図
原稿の関係で、再調査した。
なにしろ調査したのが、1986年だ。
いまから37年も前なのである。
まったく、自信がない。

思い返すと、当時20代であった私は、
無謀にも買ったばかりのXL250で、栃木に赴き、この城を見学した。
道が山の上まであるので、山頂までこのバイクで上がった記憶がある。

しかし、いまは・・・このスーパーカブに成り下がった




 
【解説】   結果がこれである。
 

 

 




この城に行く際は、麓の集会所に車を置かしていただくと良い。
管理人はバイクなので全く問題がない。


■集会所
 


山頂までは、林道があるが、昔と違って荒れ果てたものだ。
今は草ぼーぼーで、バイクでも登るのを躊躇してしまう。
 


山に登れば、立派な空堀が現れる。
特徴は、なにしろ見通しが効かなくなっている。
堀が山の地形にあわせて湾曲していることだ。

これは、縄張り図泣かせの城である

 



なにしろ、湾曲の嵐。
縄張り図を描くと、なかなか思うとおりに描けない。
 


そんな中、主郭には、直線的な立派な横矢がある。
全体的には非常にテクニカルな感じを受ける。
築城時期は戦国時代で良いだろう。
近隣の徳次郎城とともに、日光街道沿いに展開する谷津と、田川の水運を監視した城だと思う。
 
   城の谷間を流れる沢でサワガニを捕まえた。
大変美しい自然が、宇都宮には残っている。