【解説】 結果がこれである。
だいたい東、西遺構のスケールを合わせてある。
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◆集会所から石尊山を見る
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この城に登るには、
近くの集会所に車を置かしていただくと良い。
山登りアプリYAMAPでも、
ココが推薦されていた。
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ハイキングコースの入り口である。
というより、
神社の入り口となっている。
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なるほど、
かなり人気のある山らしく、道標がいっぱい。
これは、楽しくなりそうだ。 |
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道は整備されており、快適に登れる。
写真は途中のVIEW POINTから
西遺構を望んでいる。
結構、岩だらけの山だ。 |
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登り続けると、
今となっては時代錯誤も甚だしい石碑が現れる。
ペイントされちゃっても、おかしくないな。 |
石尊山西遺構 |
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西遺構に到着した。
コースからちょっと外れると、
早速堀切②が迎えてくれた。
しかし、岩がゴロゴロしてる。
◆位置図はYAMAP
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岩がゴロゴロ。
でも、ちゃんと堀切になっている。
両袖の竪堀は無いといってよい。
しかし、良く掘ったな、こんなところ。
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堀切②から西に進む・
主郭側の堀切①に出る。。
写真は
東から西方向に向かって撮影。
堀切②より、深い堀切となる。
◆位置図はYAMAP
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主郭内部から、
東に向かって堀切①を撮影。
ホントに良く掘ったなぁ。
もともと、
こんな感じだったのかな?
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主郭内部である。
ここにも石は転がっているが、
少な目。
人が住めそうなのはココぐらい。
◆位置図はYAMAP |
さて西遺構から、石尊山山頂(東遺構)を目指す。
YAMAPや、地形図では大した登りではないが、結構な距離がある。
岩がゴロゴロしているところもあり難儀した。
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途中のVIEW POINT。
正面が小俣城である。
皆さんが言うように、
こことの連絡は、十分考えられるな。 |
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そこから進むと、石尊神社奥の院。
よく、こんなとこに神社作ったなぁ。 |
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そしてやっと山頂だ。
標高486m・
しかし西遺構からここに至るまで
全く遺構は無かった。
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石尊山東遺構 |
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ところが山頂から少し下れば、
突然土橋付きの堀切①が現れる。
え?!なんで??
写真は、
東から西に向かって撮影
◆位置図はYAMAP
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土橋である。
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堀切①から40mで
2本目の堀切②だ。
ここにも土橋がある。
本遺構で最大の堀切だ。
写真は西から東に向かって撮影。
◆位置図はYAMAP |
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堀切②
西から東に向かって撮影。
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堀切②
東から西に向かって撮影。
石尊山側が高くなっているので、
主郭方向は石尊山頂方向と考えられる。
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そこからさらに東に進むと、
水たまりがある。
ココを井戸とする考え方もあるようだが、
生活水とするには、
あまりに少なすぎる。
山の峰上であるため、
水量は期待できない。
かつても、
そんなに変らないだろう |
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この水溜まり上段にも平坦地がある。
水を貯めるため?、自然地形??。。。
ちょっとわからない。
ただ、
この水溜まりが、堀切②と③の間にあるのは、
意味深である。
写真は水溜まり。
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堀切②から東に進むと、
堀切③だ。
浅いがシッカリ堀切である
西から東に向かって撮影。
◆位置図はYAMAP
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堀切③。
東下方から西上に向かって撮影。
遺構はこれでおしまい。
なんとも中途半端な遺構だ。
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【考察】
この城は小俣城からほど近い所もあり、それを補佐する関連施設と考えられるようだ。
たしかに、西遺構は単独で完結しており、眺望も良いため、なんとなく理解もできる。
しかしどうだろう。
ちょっと変なのが、東遺構。
なぜなら、ここは小俣城側に完全に背を向けているからだ。
標高差のない、広い稜線上からの敵の侵入を警戒しているといえば、そうなのかもしれない。
しかし、守るべき石尊山頂上付近は,ダらっとした山容であり、石尊山頂上西側は無防備で、西遺構まで城の遺構が全くない。
所謂 『主郭』がない。
どちらかと言えば駐屯場所のような感じ。
これらから東遺構は、西遺構とは別の目的や時代、
例えばある時期のある戦闘状態に陥った時の陣場とは考えられないだろうか。
いずれにしろ、単純に小俣の支城とも言えないのではなかろうか。
近隣の徳次郎城とともに、日光街道沿いに展開する谷津と、田川の水運を監視した城だと思う。 |