坂戸市
◆①記号SKは、現地調査の生DATA=スケッチを示す
◆②『 』内の城は、調査したが、遺構が見あたらない城を示す。
この場合、縄張り図の代わりに、地籍図や写真等を掲載している。
(注)遺構が無いからと言って、そこが城として否定しているわけでない。
◆③図は断りのない場合、上面が北を示す。
パソコンの特性上、縄張りをすべて画面上に掲載できていない場合がある。
浅羽城(写真掲載のみ) | 大穴城(写真掲載のみ) | 多和目城 | 三福寺陣城(写真掲載のみ) |
三福寺陣城(写真掲載のみ) 電子国土へのリンク ※中心位置表示にチェックを入れてください
なぁーんも無い ( ̄▽ ̄;) 2021/12/19 |
資料※1に三福寺陣城なる城があるということで行ってみた。 結果は、三福寺一帯は舌状台地上に周囲より高い。 しかし破壊が進んだのか、遺構と言えるものは何にもない。 境内がその跡といわれ、後北条氏が陣取った場所とされ、戦火にまみれたという。 ※1では図も掲載され、土橋や矢倉台、堀の残欠があるということであったが、残念な結果であった。 ◆現在の三福寺 ◆おそらく土橋に続いていた道 ◆土橋跡と切岸?? ◆切岸続き? ◆三福寺境内には板碑の残欠もあり、中世の匂いが漂う。 ※1 埼玉の古城址 有峰書店新社 中田正光 昭和58年 |
【⠀既存縄張り図の評価】遺構が見当たらないんじゃ、評価もへったくれもない!!! |
多和目城(田波目) 電子国土へのリンク ※中心位置表示にチェックを入れてください
第2回 マジ、ちかれたぁ ( ̄▽ ̄;) 2021/11/28 |
2021今シーズン=還暦になって最初の訪城である。 管理人のツイートを見ている方はご存知かと思うが、近々で引越し騒ぎがあり、ドタバタでなかなか城に行けなかった。 様々な手続きに翻弄され、やっとのことで趣味の時間に戻れたという感じである。 でも問題がある。 最近は埼玉県に、心震わされる城が無くなってしまった。 どこに行こうかなぁ・・・ と思って、最終的にここをチョイスしたわけだが、別に心震えているわけではない。 ”手近で、簡単そうな城” ということで半ば暇潰しでやってきたが、結構、色々考えさせられる城なのであった。 |
【解説】 多和目城は、高麗川の絶壁の上にある。 こちら側から見るとなかなかの要害であるが、実は、裏に回ると住宅街外れの小さな丘城というイメージ。 この視覚的効果の差はでかい。 住宅街の傍らには多和目城の看板がある。 この城の歴史はあまり明らかではないが、後北条氏の家臣の城と言われている。 看板に従って登ると、低い切岸が見えてくる。 この切岸には空堀が伴っていたようであるが、なにしろ薄い! 城の傍らには手作りっぽい標柱がある。 その先に、低い土塁を伴う切岸がある。 この切岸はクランクしていて、どうも虎口があったと思わせる。 後ほど解説する。 城内には配水施設があり、発掘調査が過去に施されたようだ。。 遺構と連続しているように見えるが、 オリジナルの切岸をどこまで利用したのか定かではない。 久しぶりの城であり、なかなか歩測が合わなくて、何度も描き直しをした。 すっかり意気消沈した管理人である。 さて、少し考察してみよう。 配水場で破壊されているものの、 この城は、山頂に四角い土塁と空堀の空間を作ったと考えられる。 周囲には、A B Cの尾根があり、Dの緩い山腹が西に展開する。 虎口は2箇所と推定される。 1?と2?が候補だが、虎口と考える理由としては、 弱い土塁線が、この部分だけさらに線が薄くなっていることだ。 過去の図面では土塁が連続しているように書かれている物がほとんどである。 しかし、管理人は違うのでは?と思っている。 虎口1?は緩い斜面Dからと、尾根続きCからの侵入に対する備えだ。 張り出した切岸(土塁?)で、横矢をかけながら主郭に導いたと考えたい。 もう一つは虎口2?だ。 A、Bの尾根から来る敵を迎え撃つのが虎口2?と考える。 Aの尾根に対しては、主郭から土塁Aが一本だけ伸びているが、土塁1本だけで何ができたのだろう? よく見るとA2の斜面は非常に緩く平面に近いものだが、A1の斜面は少々キツイ。 敵兵はA2の斜面を選択すると踏んだのだろうか? 結果、A2そしてB尾根からきた敵は、一本土塁Aによって横屋掛りされている事になるのだろう。 ところで、このような一本土塁Aをどこかで見たような気がする・・・ そう、小川町の高谷城だ! この城の二の郭も、尾根続きに対し、一本の土塁を張り出させていた。 どのような構築物を建てていたのだろう?? ちょっと想像がつかないが、なんとなく同じ匂いがする。 やっぱ、後北条か!!? (おわり) |
【既存縄張り図の評価】遺構が薄いこともあって、みんな解釈も縄張り図もバラバラ |
第1回 未調査 ( ̄▽ ̄;) 2021/08/15 |
今日は終戦記念日&連休最終日。 おまけに雨ばかりで、全く面白くない。 ということで、場所だけ確かめに多和目城に来てみた。 あいにくの雨模様。 山に入る気も起きなかったが、車は近くの運動公園の駐車場に置けそうだ。 冬になったら来てみるか! (以上!) |
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浅羽城(写真掲載のみ) 電子国土へのリンク ※中心位置表示にチェックを入れてください
なぁーんも無い ( ̄▽ ̄;) 2019/04/06 |
浅羽城は、後北条氏に仕えたとされる浅羽下野守の築城とされている。 浅野文庫の古絵図によれば、後北条の城らしく、横矢のバッチリ効いた平城である。 絵図を見ると、川の水も引いていた様である。 ◆中世の城館跡ー埼玉県入間・比企地方ーより抜粋 埼玉県立歴史資料館 昭和62年 城の比定地は左図だそうだ。 現在は住宅街の中の”城跡公園”となっている。 公園付近を発掘したところ、堀の遺構も検出できたそうだ。 とにかく、在りし日の姿を伝えるものは何もない。。。 おもろない! (以上!) |
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大穴城(写真掲載のみ) 電子国土へのリンク ※中心位置表示にチェックを入れてください
なぁーんも無い ( ̄▽ ̄;) 2019/08/25 |
新編武蔵風土記稿に、中世の城館を使って江戸時代に陣屋を築いたとされる。 現在はきれいな公園になっている。 解説板には、 「土塁」 があると書いてあるが、私見では”切岸”があるのみである。 土塁はどこにあるのであろう? 道路を隔てた雑木林の中は観察してないが、どちらにしろ遺構は、かなり少なそうである。 左写真は 切岸 ?である 公園一帯をグルリと巡っている。 正直言うとこの切岸も、隣の団地造成時にできたのでは? と疑いたくなるもの。 とにかくここが城址だったというパンチのある遺構は、 皆無に等しい。 つまらん!! (以上!) |