小鹿野町
◆①記号SKは、現地調査の生DATA=スケッチを示す
◆②『 』内の城は、調査したが、遺構が見あたらない城を示す。
この場合、縄張り図の代わりに、地籍図や写真等を掲載している。
(注)遺構が無いからと言って、そこが城として否定しているわけでない。
◆③図は断りのない場合、上面が北を示す。
パソコンの特性上、縄張りをすべて画面上に掲載できていない場合がある。
小鹿野両谷城(長留)sk | 鷹谷城sk | 小鹿野要害山城(三山)sk | 日尾城sk |
小鹿野両谷城(長留)sk 電子国土へのリンク ※中心位置表示にチェックを入れてください
こじんまり 2023/1/21調査 UP 2023/03/05 | ||||||||||||||||||||
小鹿野両谷城は、山中の細い県道沿いからアプローチできる。 事前に場所を確認しておかないと、ちょっとわかりづらいかも知れない。 管理人のアプローチを左図に示す。 これと、後述の写真を参考に、臨んでいただきたい。 アプローチの山道は比較的しっかりしているので、 おそらく迷うことはないだろう。 ◆国土地理院より
|
鷹谷城sk 電子国土へのリンク ※中心位置表示にチェックを入れてください
◆鷹谷城周辺全体図
主郭は中腹だ! 2022/10/29調査 12/17up | ||||||||||||||||||||||||||||||||
鷹谷城は、国道299沿いの、東西に伸びる細長い尾根の中腹にある。 曲輪内部は未整形だが、仕切りの堀切や土塁の形態から、築城技術に新しさが感じられる。 後北条氏が甲斐の武田の侵攻に備えたとする考え方は、穏当と思われる。 ◆鷹谷城縄張り図
|
小鹿野要害山城(三山)sk 電子国土へのリンク ※中心位置表示にチェックを入れてください
鷹谷城の補佐 2022/10/29調査 12/17up | |||||||||||||||||||||||||||||||||||
【解説】 小鹿野要害城は、鷹谷城のすぐ裏手の高所に在る。 そのため、鷹谷の補佐と考えれてているが、それはほぼ間違いではないだろう。 遺構も簡素であり、手が込んでおらず、物見程度のものだったと考えられる。 築城目的の一般的な考えとしては、甲斐国からの侵攻を懸念して作られた物とされている。
|
日尾城sk 電子国土へのリンク ※中心位置表示にチェックを入れてください
女房に守られた城 現地版 2022/10/20 | |||||||||||||||||||||||||||||
今日は秋晴れの良い天気。 Twitter仲間が、自分の城見学の成果を自慢しているのをみて、シーズンにはちょっと早いが見学を試みた。 目指したのは小鹿野の日尾城。 31番礼所観音院方面から登る。 シーズン初めなので、ちょっときついかな?体調もちょっとイマイチだし。。。 秋寒の朝、バイクをすっ飛ばし、秩父三十一番札所観音院前に着いた。 ここの札所は必見である。 崖からしたたり落ちる滝?も見事で圧巻なのだ。 さて、今日は観音院には寄らずに、山門の仁王様にご挨拶だけ。 足首峠を北に目指す。 綺麗な沢をわたり、登山開始。 沢伝いをゆっくり登る。 やっぱ体調があまり良くない。 しかしここまで来ちゃったから、登るしかない。 早速、沢の形相が険しくなって来た。 何しろ大きな岩があちこちに点在し始める。 エッチラオッチラ、牛首峠に到着。 垂直に切り立った岩の切れ目は、日尾の堀切と言われている。 さあ、調査開始だ。 |
|||||||||||||||||||||||||||||
|
|||||||||||||||||||||||||||||
【既存縄張り図の評価】 観音山に続く尾根を城域とみるか否かで評価の分かれるところだ。 この城は、牛首峠を監視する事が目的であるから、観音山方面の尾根は、ほぼ自然地形と考える。 実質、この城は北方面と東西方面にしか、気配りしていない |