長瀞町
◆①記号SKは、現地調査の生DATA=スケッチを示す
◆②『 』内の城は、調査したが、遺構が見あたらない城を示す。
この場合、縄張り図の代わりに、地籍図や写真等を掲載している。
(注)遺構が無いからと言って、そこが城として否定しているわけでない。
◆③図は断りのない場合、上面が北を示す。
パソコンの特性上、縄張りをすべて画面上に掲載できていない場合がある。
天神山城 | 仲山城sk |
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古臭い匂いがする。。。 2019/5/11 |
板碑の前の道を北に向かう。 諏訪神社を左手に見ながら進むと、細い林道になる。
すると、全く知らなかったがカタクリの群生地があるようで、バイクは、この小スペースにとめさせていただいた。 新緑のみどりが眩しい。 カタクリの時期はとうに過ぎていたが、群落はどのようなものだったのだろうか? 傍らを見れば、カタクリが種子をつけていた。 ちなみに普通乗用車で来るのは不可能と言って良い。
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【解説】 さて、先ほどの仲山城の案内看板まで戻り、山道を登る。
しかし、実際に堀底に立つと大したことはない。 低い壁側は50cmあろうか、なかろうか・・・・・かなり埋まっている。
ここに物見でも作ったのだろう。
堀切を南に渡ると、明らかに削平された曲輪に出る。
特に西斜面は傾斜が東斜面より緩く、壁がしっかりしていない。 野上の石塔婆に刻まれた年号も1363年。 仲山城ゆかりの人物の創建とされることから、この城もこの時期の築城というのは頷ける。
さて、近隣の天神山城、金尾山城との位置関係から、この城が ”後北条戦線として加えられた” という本、情報もある様だが、 城の古臭さは、それ故だと思うのである。
遺構は何も無いらしいが(2019年管理人は未調査)、その名前と立地条件から、後北条戦線のネットワークは、こちらであろう。 最後に埼玉県の調査した縄張り図(↓)である。 管理人の調査とほぼ一緒であり、よく書けていると思う。 ◆歩いて廻る「比企の中世・再発見」/博物館周辺文化財の複合的活用事業実行委員会 (埼玉県立嵐山史跡の博物館・比企地区各市町村教育委員会)発行 /平成20年)より引用 (完了) |
【既存縄張り図の評価】管理人調査とほぼ一致する。 |