埼玉県の中世城郭 



 

神川町 

 ◆①記号SKは、現地調査の生DATA=スケッチを示す
 ◆②『 』内の城は、調査したが、遺構が見あたらない城を示す。
 この場合、縄張り図の代わりに、地籍図や写真等を掲載している。
 (注)遺構が無いからと言って、そこが城として否定しているわけでない。
 ◆③図は断りのない場合、上面が北を示す。
  パソコンの特性上、縄張りをすべて画面上に掲載できていない場合がある。



安保氏(館) 神川両谷城sk


神川両谷城sk   電子国土へのリンク ※中心位置表示にチェックを入れてください

  浦山城と並行    2022/11/12調査  2022/12/23up
  【解説】
 




◆地理院地図より


バイクは急カーブする林道わきに置いた。

ここから、細い尾根を600mほど北上すれば城跡だ。
麓の集落から上った方もいるようだが、この林道からのアプローチをお勧めする。
コーナー部は割と広いので、車でも駐車は可能と考える。



















さて、細い尾根を北上すると、
1番目の堀切がある。
細い尾根を分断する堀切で、明確なものだ。





ここから再び自然地形となり70mほど北進すると、二番目の堀切となる。
ここから上を見上げると、主郭の頂部まで、甘い三段ほどの曲輪が連なっている。








主郭は、標高585m。
広い曲輪で、先ほどの堀切のある南方向に向かって、低い土塁が配置されている。


 


 
主郭中央部には、神社跡なのか、土壇がある。
 


 

東面には、いかにも物見と言えそうな巨岩が存在する。
この上に、矢倉でも組んだのであろうか。





主郭の北の尾根続きには、もう一本堀切がある。
この城の中では一番立派である。

堀切より先には、遺構は無さそうだ。

 



主郭東南に延びる尾根には一段腰曲輪?があって収束している。
この腰曲輪が、南の曲輪とつながっていたとするものもあるが(※)、
斜面と倒木で現状ではよくわからない。

※埼玉の城 梅沢太久夫著 まつやま書房2020




 

大体描き終えたので、紅葉を楽しみながら帰路についた。

遺構としては以上である。
堀切以外、山頂付近のみを加工している城で、単郭構造と言えよう。
   

この城の歴史は明らかではないが、ちょっと気になるのが、東の浦山城の存在である。
実は浦山城と両谷城は、妙に東西に綺麗に並ぶ。
武田氏の侵攻を監視する物見と考えられるとするが、他の同じような山も調査してみたい気持ちになる。
他にも似たような山城が、この深い山中に眠っている可能性もある。


◆地理院地図より


 【既存縄張り図の評価】あまり書かれていないようだが、刊行物で出ているものはそこそこ書けているのではなかろうか




安保氏(館)(写真掲載のみ)   電子国土へのリンク ※中心位置表示にチェックを入れてください

  なーんもない ( ̄▽ ̄;)    2020/08/15
 
解説】
 
                    


安保氏館ということであるが、遺構は皆無。
銘板と石碑のみ。

発掘調査が実施され、遺物も出てきたそうだ。

















周辺の水路を堀跡とし、いかにも城のように書いている図面もあるが、信憑性はない。

城の看板には周辺地名として 『馬場』 『馬出し』 などをあげている。

でも、地名が残ってもねぇ~~~。


今はひっそりと看板が残るのみ。









近くの安保神社。

しかし

本当に埼玉は、こんな城が多い。。。。。


まったく、つまらん!
正直、価値ゼロ。













ちなみにここ神川町は梨の産地。
よくお邪魔する ”卜部(うらべ)梨園” さんの幸水、豊水は、マジでうまい。
この城の不甲斐なさは、この梨で救われた。















                                            (完了)
 【既存縄張り図の評価】 評価できる図面は今のところ無い、、、というより、遺構が無いんだから図面にしようもない。


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