埼玉県の中世城郭 


①当ホームページの”城”について

②ホーページ開設にあたり

③「埼玉県の中世城郭」開設にあたり

④管理人プロフィール

⑤掲載地図借用について

      筆者と私の心の支え達

①当ホームページの”城”について

辞書で『城』という言葉を調べてみましょう。

【城】
   むかし、その地方をおさめていた人が敵をふせいだり自分の力をしめしたりするするために,
   
石・木・土などできずいた大きな建物 
               (学研 新レインボー小学国語辞典 監修金大一晴彦、金大一秀穂)
   
   
敵を防ぐために、土や石で堅固に築いた大規模な建物 
               (旺文社 国語辞典 監修 守随憲治、今泉忠義、松村明)

もちろん中世には、上記のような石垣・天守を思わせる”大きな建物”はあまり無かったと思われます。


さて、このホームページを御覧になる方は、
”中世城郭”はどのようなものか?ある程度の知識をお持ちの方もいらっしゃるでしょう。
しかし、それと同時に、全く馴染みない方も多く訪れる事だと思います。


そこで、一般的な”城”というイメージを上記の辞書の内容とし、
そこに、自らの”中世城観”を交え、以下のように当ホームページの”城”を定義したいと思います。
その定義に見合ったものを、メインページで紹介していきたいと思います。

 ”城”とは
 戦争を想定し地面の土木工事
を施した領域、または施したとされる領域。
  (
土木工事曲輪・堀・土塁・石垣など以下、遺構と称す)

管理人が”城”と判断できないものは、メインページに”城”として掲載しません。

私は、城はそもそも ”そこに留まり、人々の命を守る” 施設だと思います。
そういう意識の元、わざわざ人やお金や時間を掛け、地面を掻き回し、堀や土塁を作るのです。

いつでも放棄して良い場所には、わざわざ地面をかき回す必要もありません。
何かの戦いで使われた場所だと伝承があっても、遺構がなければ、城ではなく”陣地”として区別しています。

ということで、下記に『城としないもの例』をまとめます。

  ■”城”としないもの例

  1・ 土地の境界、結界のための土塁・堀と思われるもの。
  2・ ししがき
  3・ 城だったという言い伝えはあるが、遺構がないもの。
  4・ ”城”となりそうな地形であるが、遺構がないもの。
  5・ 地籍、航空写真、文献、書物、発掘などから判断できないもの
  6・ 城郭遺構を伴わない物を”城”とする概念、考え方
         (
遺構はないが、町全体が城としての機能を持っていた・・・という考え方など


このように、狭義な意味で”城”を規定した訳は、
このホームページ上で示す”城”というものをはっきりさせたい。
”城”を一般的に分かりやすくしたい、と考えたからです。

また、これに付随して
『館』など、城を表す言葉で、”城”との線引きが不明確なものは、極力使わないようにします。

最後に、

このホームページはmasakiという人間が個人で運営しております。
ですから、読者の中には当方の考え方に納得できない方もおられるでしょう。
いい加減な記載に反感を憶える方もいらっしゃるでしょう。

しかし、所謂ホームページやブログは、極めて ”個人の世界” を公開しているものです。

閲覧の際は、私個人の考えを肯定した上で、ご入場ください。

それができない方は、『馬鹿なこと言ってら・・・』と、そっと御退室をお願いいたします

                                               管理人 masaki 090627
②ホームページ開設にあたり

私は管理人。
職業は車の設計・品質に関わる仕事に従事している。
おおよそ、仕事となんの結びつきのない ”城” に何故、私は惹かれるのだろう。
中でも、私は、とりわけ”城の縄張り”を図化する事に心を奪われるのだ。


さて、読者は2輪,4輪レースで使う、いろいろなマシンをご存知だろうか?
モトクロッサーやトライアルマシン、F1カー、インディカーなど。
これらは余計なものを取り去り、より早く、より正確に走る・・・・その極めて限られた目的のために、設計される。
よって、そのデザイン・技術には、洗練され、研ぎ澄まされた”美しさ”が宿る。
その”美しさ”に魅了される人は数多い。
私も、そこに惹かれ現在の仕事に就いた。

思うと、これらのマシンと”城の縄張り”には共通するものがある。
城の中で生活する人々の暮らしや命を守る。
この、ごく限られた目的のために、城の縄張りは設計されるのだ。
そこには、真剣さがあり、洗練さがあり、研ぎ澄まされた技術が注がれ、レースマシンと同じ”美しさ”が宿る。
この美しさに、私は惹かれているのだと思う。

このホームページは、歴史学、考古学・・・・そんな堅苦しい学問を抜きに、作成していく。
”縄張り研究(?)”の成果が、歴史の学問にどんな一石を投じられるのか?
最近、縄張りを調査している人に問われがちな問題も考えない。
今、それを語るには時期尚早
そんなことは、私にはどうでもいいことなのである



なぜなら物事を調べ、解決の糸口を探るには、まず現状把握をおこなわないと、結論には結びつかない。
これを怠ると物事の本質が見えてこないからだ。
製造業の品質管理の基本である。

城にもそれが言える。

栃木には未踏の城や、知られていても中身(縄張り等)がわからない城が多すぎるのである。
まず、それを調べるのが急務だ。

話は変わるが、1973年、かの森永砒素中毒事件の原告側弁護士であった中坊公平は、
その訴訟の際、全国の森永ミルクで発症した砒素中毒患者の現状を、しらみつぶしにあたったという。
彼はその現状把握を基に、裁判の冒頭陳述で、裁判官を泣かせるほどの説得力のある訴状を読み上げ、
原告側を勝利に導いた。
つまり、”現状把握の勝利”である。
人を納得させるには、この抜け目無い現状把握を、充実させなければいけない。

城に置き換えれば、これは文献を調べる人、発掘をする人、城の縄張りを調べる人すべてに問われる課題である。
しかるに、とにかく今残ってるものを、今、正確に調べる事が大事なのだ。
そして、今わかることを記録していこうではないか。
よって当HPは、城の縄張りをできるだけ正確に現状把握する、情報公開の場を目指す。
掲載城館の数にこだわるHPと一線を画す。

城の遺構が、今、そこに残っている。
それを素直に図化し、現状把握する。
現状把握からでた縄張りの存在は、どんなお偉い歴史学者でも覆すことのできない事実である。
縄張りを愛する者の最大の武器でもある。


栃木の城は膨大である。
私が生きている間に調べきれないかもしれない。
しかし、”ひたすら城が好き”というマインドを武器に、城をもっとじっくりと、正確に探っていこうではないか。


縄張り調べて、何がわかるんだ!と叱咜されていることもある。
でも、遺構は確実に破壊されている。
今の現状を記さないと、将来は、もっとわからないことが確実に増える。
人間の科学は日進月歩。
しかし近い将来、我々が調べたこと、その他の史実、発掘結果等をもとに、
複合的に、過去の歴史が明確にわかる時代がきっと来る。
その時のために、今、やれることをやろう。

だから、
 ”今、縄張り図で何がわかる!”なんて、小難しい議論をする必要なんか無い。
 未来のために縄張り図を描き、それを将来のために残すことが大事!


                               管理人 041101

※中坊公平さんの御冥福をお祈りいたします H25年5月5日

 ③「埼玉県の中世城郭」開設にあたり
 
 管理人は2018年4月、栃木県から埼玉県にやってきた。
 所謂、転勤である。
 社宅は環境面から、ここ比企とした。
  
 実は、今回、この新天地埼玉にきて、気づいたことがある。
 埼玉県の城跡は著名な方々によって、すべて見尽くされたと思われていないだろうか?
 たくさんの人たちが訪城し、たくさんの方が図面を書いている。
 引っ越してきた当初、かくいう私も、城に行っても、皆が書いた図面をただただトレースするだけなのかなぁ~、と思っていた。

 
ところがである。
 例えば手初めに行った大築城に、全ての過去図に描かれていない竪堀を見つけたのである。(本編にて解説済)



 復唱であるが、埼玉の城はたくさんの著名な人たちが調査している。
 だから、埼玉の縄張り調査には  ” もう終わった感 or 安心感 ” みたいな物があるのではなかろうか。

 ”あー、ここは○○さんが図面書いてるからねー、見学にはその図面見ればいいでしょぉ~”・・・みたいな。

           
しかし、私に言わせれば、埼玉はまだケツが青い

 
          転勤早々、いきなり感じたのである。


 さて、当方もかつて埼玉の城をいくつか描いている。
 振り返ればダメな図面ばかりである。
 ここでは、それらを一掃、一蹴するつもりで情報発信していきたいと考えている。


 
                 
では、さっそく新天地から調査開始!
2018年4月某日


④管理人プロフィール  


所属、執筆、調査協力

◆所属、資格?どっちにしろ全く大した代物ではない。

名称 年度
中世城郭研究会会員 中学の頃から入り現在に至る(現在幽霊会員中)
城郭検定3級 2015年1月合格
城郭検定2級 2015年1月合格


◆公機関刊行物編纂

名称 担当区 発行元 年度
栃木市遺跡分布地図 中世城館  栃木市教育委員会  2015
芳賀町史/古代・中世通史編 第4章 芳賀町の城と館 芳賀町史編纂委員会 2003
藤岡町史/資料編古代・中世 第3章 中世城館 藤岡町史編纂委員会 1999

◆出筆

書名・資料名 著作者 出稿名 発行元 年度
唐沢山城発端之事 安蘇史談会 唐沢山城(解説) 安蘇史談会 1995
史談 会報第12号 安蘇史談会 唐沢山間数改め覚え書きを用いた唐沢山城一考察 安蘇史談会 1996
中世城郭事典第1巻 村田修三編 金山城 新人物往来社 1987
日本名城百選 村田修三監修 多気山城・唐沢山城 小学館 2008
ふるさと矢板39号 矢板市文化財愛護協会 中世の城を歩く-城の縄張りを中心に- 矢板市教育委員会
生涯学習課文化担当
2010
中世城郭研究第10号 中世城郭研究会 新潟県黒川・関川村の城 中世城郭研究会 1996
中世城郭研究第5号 中世城郭研究会 群馬県の中世城郭(岩櫃・大戸・桑田・柳沢城) 中世城郭研究会 1992
中世城郭研究第8号 中世城郭研究会 飛騨の城郭 1988~1993年の調査成果 中世城郭研究会 1994
中世城郭研究第11号 中世城郭研究会 下野唐沢山城の縄張りについて 中世城郭研究会 1997
中世城郭研究第13号 中世城郭研究会 栃木県・市貝町の城 4例 中世城郭研究会 1999
中世城郭研究第15号 中世城郭研究会 栃木県/上河内町の中世城郭 中世城郭研究会 2001
中世城郭研究第19号 中世城郭研究会 唐沢山城の遺構の再検討 中世城郭研究会 2005
中世城郭研究第22号 中世城郭研究会 栃木県矢板市の中世城郭 中世城郭研究会 2008
中世城郭研究第25号 中世城郭研究会 絵図に見る烏山城 中世城郭研究会 2011 
中世城郭研究第26号  中世城郭研究会  栃木県那珂川町の新5城  中世城郭研究会  2012
中世城郭研究第29号  中世城郭研究会 栃木県・皆川城の山麓遺構について  中世城郭研究会  2015 
東国の中世城郭 中世城郭研究会 芦野・小志鳥・東戸田・鞍ヶ崎城 中世城郭研究会 2010

◆図面提供

書名・資料名 著作者 発行元 提供縄張り図 年度
 「土」と「石垣」の 城郭 風来堂編   実業之日本社 皆川城  2019 
今日から歩ける!超入門 山城へGO!  萩原さちこ・西股総生編   発行元・学研 太田金山城  2014 
多摩丘陵の古城址 田中祥彦 有峰書店 滝山城(東京) 1975
16世紀末全国城郭縄張り図集成(上) 黒田慶一・高田徹 倭城併行期国内城郭縄張り図集成刊行会 福原城
茂木城
泉城
2008
歴史読本2007年5月号 西股総生 新人物往来社 唐沢山城 2007
歴史読本2008年8月号 西股総生 新人物往来社 唐沢山城 2008
飛騨の城館について(レジュメ)
-縄張り研究の視点から
石川浩治 岐阜県郷土資料研究協議会 広瀬城西遺構群
小島城
梨内城(岐阜)
2004
唐沢山城跡Ⅲ
(※提供した覚えは無いが勝手に載ってた・・・)
栃木県田沼町・
田沼教育委員会
唐沢山城 2001
城郭探検倶楽部 中井均・加藤埋文 新人物往来社 金山城(群馬) 2003
とちぎの古城を歩(※提供した覚えなし 塙静夫 下野新聞社 大宮城 2006

◆講演・現地見学会

題目 場所 主催母体 年度
芳賀町・芳賀の中世城館を歩く 芳賀町町民会館研修室 芳賀町生涯学習センター 2003
川崎城現地見学会 矢板市川崎城 矢板市生涯学習センター 2009
縄張りに見る唐沢山城 佐野市・城北地区公民館 安蘇史談会 2009
全国城郭研究者セミナー
栃木県唐沢山城の遺構の再検討
-間数覚え書き・諸国古城の図
からわかってきた城の全貌-
東北大学川内キャンパス 第21回全国城郭セミナー実行委員会
中世城郭研究会
2004
岩櫃城現地見学会(説明員) 群馬県・岩櫃城 財団法人簡易保険加入協会 1994

◆協力

書名・資料名・サイト名 発行・著作 年度
栃木県鹿沼市 シカノツノタチ通信 
鹿沼市総合政策部鹿沼営業戦略課
2021
烏山城跡確認調査概要(※協力した覚えは無い。勝手に協力者になってる・・・)  那須烏山市教育委員会 2014 
史跡金山城跡保存管理計画書 群馬県太田市 1986
群馬県の中世城館跡 群馬県教育委員会 1988


その他いろいろ。もう、わからん。。。



⑤掲載地図借用について

◆電子国土の地図借用について◆

本編に掲載されるWEBサイト”電子国土の地形図”であるが、
借用を国土地理院に問い合わせたところ、下記のような回答があった。
紙の地形図の借用承認を取るよりも、もっと手軽なものであることがわかった。


(以下国土地理院回答文) 

電子国土Webシステムをご利用いただき、ありがとうございます。
国土地理院地理空間情報部 情報普及課 問い合わせ担当です。
情報企画課審査係にお問い合わせのありました件について当方より回答いたします。

「国土地理院背景地図等データ利用規約」の範囲内であれば、電子国土からの出所明示で
ご自由にお使いいただくことが可能です。

添付ファイル(※筆者問い合わせファイル)にありました国土地理院背景地図を利用した地図(A4サイズ1/4以下、437×323ピクセル)を紙地図による配布、
インターネット上に掲載される場合は以下の利用範囲内であれば出所を明示してご利用いただけます。
測量法の承認申請は必要ありません。

なお、出所明示の方法は、以下リンク先をご参照ください。
http://portal.cyberjapan.jp/portalsite/q_and_a/ans7.html#71

       
              「この背景地図等データは、国土地理院の電子国土Webシステムから配信されたものである。」



◆1/25000地形図借用について◆

本ホームページでは、本編に使用するにあたり、国土地理院の『ワンストップサービス』より掲載許可を得ている。

(掲載例)本HPで使用する地形図は、国土地理院の使用許可を得ています。
承認を得て作成した下記を第三者がさらに複製する場合には、国土地理院の長の承認を得なければなりません。

※「口粟野岩鼻城で使用する地図は、国土地理院長の承認を得て、同院発行の2万5千分の1地形図を複製したものである。(承認番号 平24情複、 第532号)」


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