東秩父村
◆①記号SKは、現地調査の生DATA=スケッチを示す
◆②『 』内の城は、調査したが、遺構が見あたらない城を示す。
この場合、縄張り図の代わりに、地籍図や写真等を掲載している。
(注)遺構が無いからと言って、そこが城として否定しているわけでない。
◆③図は断りのない場合、上面が北を示す。
パソコンの特性上、縄張りをすべて画面上に掲載できていない場合がある。
大河原氏(館)(写真掲載のみ) 電子国土へのリンク ※中心位置表示にチェックを入れてください
上田氏の墓がある寺 2019/01/26 |
東秩父村の浄蓮寺はこの地を治めていた大河原氏がいたと言われている。
戦国期、腰越城にいた上田氏もここに居館を構えたと考えられる。
境内前の石垣を往時からの石垣と解釈もあるようであるが、
この石垣は落とし積みであり、明らかに近代のもの。
管理人の解釈では、遺構は確認できなかった。
浄蓮寺の山門付近からは安戸城がよく見える。
このことから安戸城も上田氏関連の城とみて間違いなかろう。
さて、浄蓮寺の敷地内は中世の匂いがプンプン。 宝筐印塔、板碑、他にもいろいろあるんだろうなぁ。
さて、上田氏の墓は浄蓮寺墓地の山の中腹にある。
左から上田政広、朝直、長則と並んでいる。
三つとも典型的な宝塔で、塔身に大きな穴があいている。
解説文によると、観音扉が付いていたらしい。
また扉の上には破風の懸魚が描かれている所も特徴的だそうだ。
(以上)
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安戸城 電子国土へのリンク ※中心位置表示にチェックを入れてください
コンセプトが明確にわかる城 2019/01/13 , 01/19 |
【解説】
この城に行くには、城山保育園前の小スペースに車を置かせていただこう。
閉園の土日なら問題ないと思われる。
城へは、ここから伸びる林道をたどれば問題なく到達できる。
林道はしっかりしたものだ。
オフロードタイプのバイクなら普通に登れるだろう。
主郭から伸びる尾根に到達すると、林道ははっきりしなくなり、
ここからは普通の山道に変化する。
山道を登りつめると、綺麗な切岸が見えてくる。間違いなく城跡だ。
安戸城主郭だ!
しっかりした主郭の切岸高さは3mほど。
主郭下の曲輪ははっきりしないが、堀であった可能性もある。
主郭内に入る。
基本平坦なのだが、西に向かうに従い下降する。
つまり、頂上部分しか平坦に加工していない。
主郭には城山権現のという神社があったと思われる。
内部には、神社の参道を思わせるような列石も残る。
中央部には、縄張り図付きの解説版がある。
この縄張り図については、後ほど意見する。
主郭の南の壁を下方の曲輪から望む。。
岩がゴツゴツ張り出しており、
そのせいか切岸の加工も甘い・・・
というか自然地形にさえ見える。
なだらかな斜面だ。
この写真右下に
東方向に落ちる竪堀が一条確認できる。
変わって、主郭北の壁。
こちらもダラッとしたなだらかな斜面。
切岸・・・というよりも自然地形っぽい。
こちらも写真右手に、西に落ちる竪堀が確認できる。
主郭北の壁面直下に竪堀の起点がある。
←■マウスを乗せよう
この竪堀の幅は5m程。
高さはあまりないが(埋まっているが)、割とはっきり確認できる。
竪堀の片側には竪土塁とも呼べる土壇がある。
下写真左側はその土塁そのものを撮影。
その横は、竪土塁上から見た竪堀なのだが、あまりはっきりしない
雰囲気がつかめるだろうか??
やっぱり中世城郭の写真撮影は難しい。
色々見てきたが、結果から言うと
この城は主郭の西面から南東面の切岸のみシッカリしている。
それ以外は自然地形と言って良い。
竪堀が切岸の両端に一条づつ存在する。。。。。
つまりは、この城は、敵が西から南東面にかけて攻めてくると想定している。
北の尾根続きは、”敵が攻めてこない” または ”退路として確保” してあるようだ。
腰越城とセットの城とする考えもあようだが、同時期の築城とすると、安戸はもの凄い急ごしらえの城の感がある。
■主郭の切岸パノラマ写真
ところで、主郭にあるこの看板縄張り図。
どうもこれが怪しい。
主郭から離れて北に竪堀が描かれているが、これは過大評価。
竪堀は認められない。
また、主郭南東も 「堀切」 としている様だが、これも過大評価。
東面に下る竪堀は認知できるが、堀切となっていたかは、はなはだ疑問だ。
また主郭東面を切岸と捉えているようだが、これはどう見ても自然地形。
東秩父村、唯一の城であるゆえ、このような評価になったのだろうか?。
(参考文献)
※ 秩父路の古城址 中田正光 有峰書店新社 昭和58年
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【既存縄張り図の評価】 評価できる図面は今のところ主郭の看板と秩父路の古城址。
両者とも切岸の表現が過大評価のような気がする。 |
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